焼飯所

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11月19日 2つ目の工事現場の話

僕がケチな話か動物の話をしようと思いましたが、仕事が辛くなってくる季節になったんで過去の仕事の話でもしようと思います。
僕が会社に入って4年目になりますが、監督業をし始めて2現場目、最初に代理人をしたときの話です。


そもそも僕はもともと現業で、配置換えで監督業をするようになったんですが、隣の芝は青いというか、一日中パソコンの前にいて、図面とか書いている(入社時は少なくともそう見えた)現場監督という仕事にとても憧れを持っていて、3年目のはじめ頃上司からやってみるかと言われ即返事をしました。

 

もちろん今は別に後悔はないけど人生やり直すなら絶対選択肢から外す職業でして、仕事内容はググってもらえばいいですが、拘束時間が長いのと業務が多岐に渡るのとコミュニケーション力がすごく必要で、工事の責任をすべて背負う本当にブラックな仕事です。完全に甘く考えてました。

 

入社3年目の僕に声を掛けるということは、もちろん当時の僕にはわからなかったのですが、人手が足りないところの応援に連れて行かれるということで、最初の現場で配置替え即休日なし労働時間が7:30~25:00の本当にめちゃくちゃな現場に投入されました。そこは大手の設計事務所さんがやってたこともあり、所長さんは15kgくらい体重が落ちたそうです。

その現場は体力的には辛かったのですが、最初の現場で何もわからず、責任もなく言われたことをやっていたため、意外に楽しかったです。ちなみに母親には後日死にそうな顔をしていたと言われ、時間が合わず2ヶ月間くらい会うことのなかった同業他社の父親には毎日が充実してただろうと言われました。
という訳でその件はまた機会があれば書き留めます。


その現場が終わり、夏頃になりまた上司に呼び出されました。聞けば取引先の会社で人が足らず現場監督が居ないので、炒飯くんすまないが出向して代理人をやってくれ。というお話でした。

当時の僕は本当に浅はかでぶん殴ってやりたいのですが、出向先が大手メーカーのエンジニア担当の子会社だったため、うちの会社よりかっこいい!みたいな気持ちで内容も聞かずこれまた快諾してしまいました。
翌日には仕事をやめる手続きをいろいろと行い、その翌週の日には制服と名刺と出向先の営業とメーカーの地域担当営業が揃ってやってきて、お客さんのところに行くことになりました。行った先は国交省中国地方整備局の出先部署、そして最初の打ち合わせで客先より言われた言葉は「一ヶ月間あなた達は何をやっていたんですか」でした。
この現場はもう始まっていて、すでに工期8ヶ月のうち1ヶ月が経過しており、国交省に不安がられてる状態だったのです。おまけに工事担当は僕一人でした。

 

国交省という組織があることは周知の事と思いますが、ある程度書類が緩和されてる市町村都道府県に比べめちゃくちゃ書類が多く、また工事担当の組織なのでその手のプロであり、管理項目が多くまた組織が縦割りなので担当の人が複数いる場合それぞれに対応していかないといけないまぁ素人がやるべきではない工事です。


専門外の通信工事でしかも初代理人で素人だった僕に渡されたのは厚さ5cmくらいの工事仕様書、1cmくらいの社外秘工事マニュアル、書式が入ったCD、過去の工事の書類、それと新品なのに動作が悪いパソコンだけでした。別の代理人が助けてくれるという話だったのですが、その人も現場を持っていてレスポンスが悪く、営業さんはそのうち行くから。と言ったきり検査まで来てくれませんでした。

 

過去の工事のやり方を見て、書類を作って行っては大量の付箋紙と共に何度も突き返され、専門的なことを聞かれワタワタしてると客先にあなた本当に大丈夫?と言われ、あの書類とこの書類を明日までに出してくださいみたいなメールが毎日届き、深夜まで書類を作って持っていってはコンサルにボコボコに指摘され、覚えてる限り客先で2回は泣きました。
工事自体は元の会社が下請けだったので、先輩がたは事情を知ってて優しくしてもらったので円滑に進んだのですが、それでも嫌な思い出しかありません。

本当にうつ病一歩手前だったと思います。朝起きるのが憂鬱で逆に現場事務所から帰りたくなくて車で寝たり、日中川を見てたら涙が止まらなくなって2時間位泣いてたり、一日中ため息をついてたり、休みの日はあーとかうーとか奇声を発してたり、暴飲暴食をしてみたり。とくに現場事務所でメール打ちながら泣くことはよくありました。

2つほど忘れられない思い出があり、
1つ目は元の会社に打ち合わせで行ったときに、上司にお茶でも飲んでけと言われ一緒にお茶を飲んだのですが、なにもしゃべらない上司と、仕事のことでいっぱいいっぱいで世間話をする余裕がなかった僕が20分位無言でお茶をすすってて、じゃあ、頑張って。と言われ送り出されたことです。後に聞けば、顔色が悪く愛想笑いしてる僕に特に掛ける言葉がなかったということでした。

 

もう一つは、竣工間際で検査の書類を作っているときに、その時は手伝いの人が来てくれたんですが17:30に帰っていって、そのあと一人でその時も泣きながら、その手伝いの人の悪口を言い、会社の悪口を言い、音楽を聞いて、そのうち大声で歌いはじめて、そのあと23時ごろだったと思いますが、何を思ったか車で10分位のところにある中古エロ本屋に行って、00年位に発売されたであろうどう見てもおばさんが女子高生の格好してるヌードグラビアを買って、それを見ながら車の中でオ○ニーをして、もう本当に何やってんだ俺はってまた泣きながらそのエロ本をコンビニに捨てに行ってそのまま帰ったことが、今思うと本当に疲れてたんだな僕は…。可哀想に…。と思い出し泣きするほど忘れられない思い出です。

 

いやぁこうして書き並べると本当に気が狂ってますね。文字にしたのでスッキリしました。今の僕ならこんな工事は工期もあったし、現在に比べて基準がゆるい頃だし、経験も知識もコミュ力もついたので一人でも多分楽勝でしょう。

 

どんな仕事も最初はきついし、ずっときついわけではないと思いますが、現場監督はあまりおすすめはしません。面白いですけどね。もしやるなら大手より地方中小が良いですよ。 

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